仮想サーファーの波乗り

仮想化エンジニアの日常

プログラミング・SNS分析・仮想通貨・自動化などに関してよく書きます。

【書評】『教養としてのテクノロジー』 は仮想通貨/ブロックチェーンの社会実装を分かりやすくイメージさせてくれる良書


MITメディアラボの研究所長をしている伊藤 穰一さんの『教養としてのテクノロジー』 が良書だったので、書評を書かせてもらいます!「ブロックチェーンの社会実装はどのようにされていくのか?」という話が、そもそも通貨の機能は何か?技術の役割とは何か?という話から丁寧に説明されているので、普段技術に触れていない方も読んでとても分かりやすいものになっていました。


『教養としてのテクノロジー』を読んでみて

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デジタルガレージ、インフォシークジャパンなどの日本のインターネット黎明期に活躍した有名企業の創業に携わっている伊藤さん。2015年の4月ごろにはすでにビットコインのための最先端研究機関設立構想をしていたようです。研究機関としての中立な立場でビットコインの仕様や発展に貢献することを構想。

そんな仮想通貨・ブロックチェーンに関して誰よりも伊藤さんだからこそ語れる内容が、誰でも理解できるように噛み砕かれてエッセンスが凝縮された本になっていました。本を読んでいて特に気になった印象深い指摘が、価値はコミュニティの関係者間で生まれるものだということ。それをWorld of Warcraftを例に出して説明しています。


価値はコミュニティの中で生まれるもの

同ゲームでは、ゲーム内でのみ利用できるデジタル通貨がゲームの利用者1000万人の間でやり取りされていた。その通貨はゲームの中でしか増やすことができないから、現実世界では貧乏でもプレイ時間を積み上げればゲーム内では強い武器を手に入れることができ、社会的ステータスを獲得することができる。その仕組みによって、時間をかけてゲームに没頭しスキルを上げていくというインセンティブが働いた。ここには、コミュニティ内で「強い武器を装備してゲームをクリアする」という価値観があったからこそ、デジタル通貨が価値のあるものとしてゲーム(コミュニティ)内で認識されていた。

このように、通貨とはそのコミュニティ内で関係者がやり取りをする上で価値があるものだと認識されて初めて効力を持つものであり、World of Warcraftではその独自の通貨が現実世界の通貨と交換できないものであったために、ゲームのプレイに時間をかけるインセンティブが働き、そのかけた時間と装備の向上が価値を持つことになったのではないかと指摘されています。

この点は現状の仮想通貨が法定通貨との交換機能を持っている点とは異なっていると。この指摘は、「そもそも価値ってなんだっけ?」「通貨ってなんで必要なんだっけ?」ということを改めて考えさせられるものでした。例えば、アフリカだと1日の生活が1ドル以下の水準で生活している人たちもいるけど、彼らは特に貧しいというわけではない。農業をやって自給自足して、音楽に合わせて踊ることで文化を楽しみ、村人同士で会話をすることで人生を豊かにしている。つまり、より多くのお金を稼いで人とは違うものを買って、人とは違う体験をすることに対して対価を払うような資本主義のコミュニティとはそもそもコミュニティのルールが違う。だからこそ、価値のやり取りも違う。

また、同じようにWorld of Warcraftの例を用いて、コミュニティの存続には何が必要なのか?という問いに対しても一つの考察を説明しています。


コミュニティの存続に必要なのは多様な役割

コミュニティが存続して発展していくためには多様な役割が必要であると。World of Warcraftではレベルを上げてクエストの達成の速さを競うような「達成者」もいれば、新しいステージや隠しアイテムを探すことを楽しむ「冒険者」もいる。また、プレイヤー間のコミュニケーションややり取りを楽しむような「ソーシャライザー」、他のプレイヤーを傷つけることで自身の価値を感じる「キラー」など多様な役割のプレイヤーが存在する。それぞれのプレイヤーが自分の役割において価値を発揮することで、コミュニティ全体としての役割分担がなされ、多様な価値が移り変わることでコミュニティは存続していくことができると。

これは面白い指摘で、例えば狭い会社というコミュニティの中を考えてもそうだなと。売上を上げて社内の誰よりも成果を出すことに喜びを感じる社員もいれば、新しい取り組みを矢継ぎ早に推進して、新しい事業を構想するような役割の社員もいる。そうかと思えば、社内の人間関係を掌握して調整するような役割の社員もいて、会社の良くない点や改善すべき点を追求するような社員もいる。

そのような多様な社員が集まってこそ、変化の激しい市場環境において、様々な役割の社員が最適適用していくことで、会社が存続するための機能が充足していくのだろうなと。


目の前のことに集中できなくなる教育

また、現代の教育に関して何が言えるのかという指摘も鋭くて面白かったです。現代の教育では、「将来何の役に立つのか?」がもっとも重視される傾向にあると。つまり、「今、楽しいからプログラミングをやる」ではなくて、「将来的にエンジニアとして就職するためにプログラミングを勉強する」と。今のやりたいことではなくて、将来どんなものを目指すかということから現在の行動を規定しすぎているのではないか。という指摘がされていました。

これは確かにそうだなと思っていて、将来エンジニア職に就きたいから情報工学を専攻していますとか、将来は海外で働きたくて、そのためには留学に行きたいから外国語学部に入学しました。みたいな将来を見据えての行動選択がされることによって、「今やりたいこと」が後回しにされ、結果的に「今やりたいことを忘れてしまう。」という現象に陥ると。これはまさに自分がそうだなと感じました。つい最近会社で「やりたいことあるか?」と聞かれて、「事業のために一番必要だと思うことをやります。」という答えが出てきたのですが、これはまさしく「将来的に必要なことをやる」という考えからきている発言です。「誰も作ったことのないWebサービスを作りたい!今すぐに!」みたいな新鮮な欲求が生まれてこなくなってきているなぁと。この発言が自然に口から出てきたことを認識した時は、さすがにヤバイなと自戒しました。


まとめ

『教養としてのテクノロジー』を読んで特に印象的だった部分をご紹介しましたが、本書の中では多くの考察が紹介されています。「技術が生まれることによって、人間は新たな問いに直面する」という話や、「マインドフルネスはなぜ今流行っているのか?」という考察など、めちゃくちゃ面白い話が満載な本でした。

ぜひこの週末にでも読んでみることをオススメします。


では!